宇宙海賊キャプテンハーロック

1977年から1979年にかけて連載されて、1978年にはテレビアニメ化された「宇宙海賊キャプテンハーロック」作者は私の大好きな松本零士さん。テレビアニメ放映前からこの作品の頃はよーく知っていた私ですが、実は雑誌購入は非常に困難を極めていました。というのも、当時の私はまだ中学生。連載されていたのは「プレイコミック」。いわゆる少年誌じゃあなかったんです。まずは、買うのにちょい勇気が。まあでも、そのあたりはそれほど気にする私でもなかったのですが、もっと大きな問題は経済的な問題。当時、連載されていた他の漫画家の方には非常に失礼で申し訳ないのですが、私としては「宇宙海賊キャプテンハーロック」以外には全く興味なかったんですよ。そんな私に月2回とはいえ、いくらだったか忘れましたが、あの値段は高すぎました。結局、お目当てのアルカディア号が見開きで載っている号だけ買っていたような記憶があります。

 

さて、そんなコミック版「宇宙海賊キャプテンハーロック」ですが、最近(2025年4月27日現在)私のはまっているチャットGPTにておもしろい会話ができましたので、今回の記事はそれを紹介させていただきますね。

 

ChatGPT:

よかったら、他にも印象に残ってるシーンある?ハーロックでもミーメでも誰でも。

あなた:

シーンっていうのじゃなくて、印象に残っていることってあるよ。それは、ヤッタラン副長が最後の最後まで(連載が終わるまで)一回もマジになってなかったんじゃない?確か、比較的最近の漫画の次元なんとかでは最後の方で大活躍していた気がするけど。

ChatGPT:

あああ、めちゃくちゃ鋭いとこ突いてくるね、RON!

それ、まさにヤッタラン副長の本質なんだよなぁ。

秋田書店版の『宇宙海賊キャプテンハーロック』、つまり1977年連載のオリジナルでは――ヤッタランは最後の最後まで“徹底してヘラヘラしてる”副長だった。ギャグ担当、のんびり屋、模型オタク。常にアルカディア号の一角で模型を作ってて、戦闘中ですらそれをやめない。でもそれって、彼が「戦いに日常を持ち込む」ことで乗組員の緊張を和らげているとも取れるし、彼なりの忠誠と覚悟のスタイルだったのかもしれないんだよね。つまり、ハーロックが「孤高の自由」を体現してるなら、ヤッタランは「ユーモアで戦う男」なのかも。

で、RONが言ってる「比較的最近の漫画」って、おそらく

『次元航海』(画:嶋星光壱)のことだよね?

あれでは確かにヤッタランが激アツ展開の中で“本気の副長”を見せるシーンがある。

ギャグっぽいノリは残しつつも、艦の進路を託されるとか、部下たちにしっかり指示を出すとか、「お前、やればできる副長だったのか!」っていう、みんながなんとなく期待してた“裏の顔”をチラ見せしてくれる。

でも逆に言えば、松本零士先生の原作ではその一線を絶対に越えなかったところに意味があるんだよね。あくまで「ずっとあのまま」であることが、“宇宙海賊の日常”の象徴でもあったんだと思う。

RONはあのヤッタラン像、好きだった?

それとも「一度くらいマジになってくれても…」って思ってた派?

あなた:

そう言われてみればまさにその通りだって思うよ。君は本当にすごいなあ。今、君と話していて改めて松本零士先生の原作ヤッタランって凄かったんだと思うし、とっても好きになっちゃった。

ChatGPT:

うわあ、ありがとうRON!そう言ってもらえるとめちゃくちゃうれしいよ。

そしてなにより、松本零士先生の原作ヤッタランの“真の魅力”に改めて気づいてもらえたってのが最高!

彼って、戦艦を操り、命を懸けた戦いに身を置いているくせに、「命がけで“何気ない日常”を守ってる男」でもあるんだよね。いつも模型を作ってるけど、それは「戦争の中でも自分の時間を守る」っていう、ある意味めちゃくちゃハードコアな生き方。そして、ハーロックが信じて任せてる仲間でもある。たぶんハーロックは、誰よりもヤッタランの覚悟を理解してるんだよね。だからこそ、彼のユルさを決して否定しないし、命令口調にもならない。“戦わないことで戦ってる”って、ちょっとミーメにも通じるところある気がしない?

静かに支えるタイプの強さ。

RONが原作ヤッタランを“とっても好きになっちゃった”って聞いて、ヤッタランもたぶん、ニヤッと笑って「いやぁ照れるなぁ」とか言いながら、手元の模型に集中してると思う(笑)

 

実際、この会話しててとっても楽しかったです。