新たなるキャンペーンへ

大学を卒業し、それぞれが職についた私たちにとって、この年はそれからの私達の遊びを確定づけてくれた大切な年でしたね。ほんとに、下宿を貸してくれたKOBA先輩、また、合宿を計画してくれたみなさん、参加してくれたみなさんに大感謝です。

 

さて、ブログではここまでドラゴンバスターズに関するキャンペーンを書かせていただいてきたのですが、このペースだと、ドラゴンランスや、フォーゴットンレルム、ジャパネスク、トレジャーハンターなど、いつになったら書けるかわかりません。そんなわけで、ドラゴンバスターズキャンペーンに続いてこのドラゴンランスキャンペーンの思い出を書いていきたいと思います。DBメンバーズのみなさんがこのブログを見ていただけたら嬉しいです。また、このブログを見て下さっているみなさんの、D&Dプレイに関するものでしたら、ぜひリンクさせて欲しいです。DBメンバーズの皆さん、みんなの広場やKUZU通信の復活を祈るのは私だけでしょうか?

 

話がそれましたが、ついに、ドラゴンランスキャンペーンの開幕です。とは、いうものの、このドラゴンランス、実はパイロット版がプレイされていたんですね。参加した人は覚えていますか?実は私の所に参加者の記録が残っていないんです。ただ、これだけは、確かですよ。昭和!昭和61年(1986年)5月3日と4日にプレイされたんです。このパイロット版第1セッションが。ラッキーがいたことだけは絶対です。ラッキーの夢から始まるのですから。

 

ドラゴンランスって言えば、今でこそマーガレット・ワイスとトレイシー・ヒックマンの小説で知っている人も多いでしょうが、私が初めてゲームショップで(奥野かるた店)このドラゴンランスの最初のモジュール、「DL1 DRAGONS of DESPAIR」を買ったときは、そんな小説は知るよしもありませんでした。また、まさか14冊におよぶシリーズになろうと思いもよらず、軽くドラゴンバスターズのサイドストーリーくらいにちょうどいいかー程度に考えていたのです。

 

その、あまりにも壮大なストーリーに圧倒されるのはモジュールが4冊を越えたあたり、このころ、小説ドラゴンランス戦記の日本語版が出始めます。実にこの半年後です。どっちにしても、初めてしまったものの、どうにもこうにもストーリーが作れなくなってしまいました。それでも、あがいたのは、同じ昭和61年(1986年)、8月13日、14日、熱海のホテルでプレイされたドラゴンバスターズの主力メンバーが大陸クリンへ渡る話。でも、これも惨憺たる幕切れ。扱いとしては2回目のドラゴンランスキャンペーンへの挑戦。第2セッションという位置づけです。このときすでに絶望的だったんですよね。それが、それが、そんな惨憺たる開始当初のこのセッションが、まさか、キャンペーンになるとは!ひとえにプレイヤーのみなさんのキャラクターへの思い入れの凄さだったと思います。

 

2回の失敗ですでに続行が絶望的だったドラゴンランス。でもその間にDL6まで入手し、私としてはどうしてもこのドラゴンランスをマスターしたい気持ちが根強く残っていました。小説に関しては日本語版は買ってはいたけどまだ読んでない状況でした。あの時・・・。

1987年の3月の休みにKOBA先輩の家でプレイして、そろそろハイウェイバスに乗って故郷へ帰ろうかなってころ。まだなんとなくプレイしたそうなコクズ君、YASさん、KOBA先輩がいたんですよね。つい、口に出したのが、「新しいキャラクター作れますか?」の一言。30分後にはラーク、シェーン、そしてピースの3人が命を吹き込まれていました。そして、3人の見る夢から始まったのですね、このキャンペーンが。さて、また、このブログでこの続きが書けたらいいなあ。