マイフェイバリット20「あの時あの場所」補完

2023年12月2日 初アップ

2023年12月7日 テイルズさん、あっち(*^▽^*)さんにいただいたフェイバリットを補完

                さらに私の後半もアップしました

 

 

第8弾は「マイフェイバリット20「あと時あの場所」です。20としたのは、このくらいなら、たぶん選べるかなという数字です。20に満たない可能性はあります。ただ、いたずらに列挙したくないので、20を超えることのないように厳選します。

 

今回は、リアルが多くなるかもしれませんね。私はなりそうです。リアル、アニメ、特撮、ドラマ、TV、映画、OVA、すべてひっくるめて、お気に入りの場所、場合によっては時も配慮した場所20をあげてみます。なるべく個人情報に絡まないように曖昧な表現大歓迎です。まあ、今回も、思いっきりご都合主義でいきます!

 

今回は、参加してくださる方によっては、画像などつけたいかもしれません。もしよければ、ご自身のブログにて参加してくださいね。そしたら、補完バージョンでは、ぜひ、テキストのみこちらで紹介させていただいて、リンクを貼らせていただけたらと思っています。タイトルも自由にしてくれてかまいませんので、もし、参加いただけたらコメントにて一報いただけたら嬉しいです。わたしもちょっと勉強したので、記事の合間に画像をはさむことに挑戦してみたいと思います。

 

今回は私にとっては、あまりにも思い入れが深い場所が多すぎるので、前半10箇所、後半10箇所の2回に分けさせてください。

 

「シャーロックホームズミュージアム

2023-11-03 ホームズ博物館のネクタイ

https://dd3199.hatenablog.com/entry/2023/11/03/140407

にて紹介させていただいた、私の家族の思い出の場所です。

1992年12月22日撮影

 

 

「グランドキャニオン」

ホームステイしたときのオプショナルツアーで行きました。セスナから見た峡谷も、展望台から見た景色も壮大でした。何よりも、あの時一緒してくれた仲間たち。もう一度会いたいなあ。

 

 

「北海道にあった原生花園

母のたっての希望で立ち寄った場所です。綺麗なお花がいっぱいでした。後日、介護中の母と散歩したときに、ちょっとした花の咲いている場所にさしかかると、「あっ、原生花園だね。」って冗談をいいつつ笑いあいました。

 

 

「四季の路」

新宿区歌舞伎町にある公園で四季の路は愛称みたい。正式には新宿区立新宿遊歩道公園かな?東京へ遊びに行くといつも通ります。菊地秀行氏の小説”魔界都市ブルース”にもそれらしき場所がよく描写されますね。新宿ゴールデン街や花園神社に抜けたりもできます。あと、おそらく後半であげるあの場所にもこの路を通っていきます。

 

 

「1970年の日本万国博覧会の会場」

いわゆる、1970年の大阪万博ですね。あの太陽の塔のたってた。あの、月の石の展示されてた。あの、リニアモーターカーの模型のあった。あの、浦沢直樹氏の20世紀少年でよくとりあげられていた。実はここでの2日目、大切だった各パビリオンの記念スタンプを押したスタンプ帳を落としちゃったんですよ。閉演直前の会場内を探しまくったけど見つからなくて大泣きしたっけなあ。

 

 

「語らいの小径」

介護中の母のリハビリのために歩いた歩行者専用道路。私の通っていた小学校のすぐそばにあり、私たちが在学中に作った花壇も健在。前述の北海道旅行を思い出し、原生花園なんていいつつ歩きました。ふくろうの石像が置かれています。

2023年12月01日撮影



 

「クリスマスのシャンゼリゼ通り」

家族4人旅行と母との二人での旅行、2回、同じ時期に見ることができました。この時期ってイルミネーションが売りなんですよね。凱旋門から見た景色は圧巻でした。三脚立てて写真撮ろうとしたら注意されちゃったなあ。

1992年12月24日撮影



 

能登の千里浜なぎさドライブウェイ」

砂浜です。自動車で走れるんですよね。

免許証を返納する直前の母にも運転してもらいました。

夕日や朝日も素晴らしく、この千里浜にあるホテルに一泊して堪能しました。

2014年07月29日撮影



 

「あばら屋」

都営地下鉄三田線千石駅から歩いて少しのところにあった、先輩の下宿。2階建てで今にも壊れそうな造りが印象的でした。みんなして、夜中じゅう、D&Dを遊びまくったなあ。最長27時間?いや、もっと長かったっけ?コクズくんが住み込んじゃったり、平日行くとこたつから上半身を覗かせたKOGA先輩が「やあ。」懐かしすぎるー、涙が出てきます。

 

 

「ネクサス」

2023-11-14 STAR TREK GENERATIONS(1995日本公開)かなりネタバレ

https://dd3199.hatenablog.com/entry/2023/11/14/091511

にて語らせていただいた映画の終盤に舞台となった場所。架空の場所です。

この映画、母も好きだったなあ。

時と場所を超越したこのネクサス。行ってみたくもあり、怖くて行きたくない気持ちもあります。

 

と、いうわけで、今回はここまでの10箇所。

実はもう頭の中には10箇所を軽く超えちゃう候補地が。

これは、今からもう、差し替えバージョンがあるかもって予感です。

画像もできたら、もう少し追加してみたいなあ。

 

 

では、後半いきます。

 

知床半島を車にて先の方まで」

母との北海道旅行の折、疲れた母には部屋で休んでいてもらい、私は車で知床半島を先端に向かって走ってみました。序盤の方で、熊が出たから通行止めなんて、あったり。意外とすぐに通してもらえたけど、逆に本当は怖かったのかも。道中、鹿の親子らとも遭遇しつつ、自分としてはかなり先の方へ。車を降りて、右へ歩いて海を見て、Uターンして、左へ歩いてまた海が見えた、その景色にはなんか感動しちゃいました。結局、それ以上行ったら、バックでしか戻れないのではって不安になって、どこまで先端に近づけたかわからずじまいで引き返してしまった根性無しです(ノω=;)。。。

 

 

 

「新宿と巣鴨歌広場」

これじゃあ、2箇所かな?とりあえずは、歌広場ってことで。

コクズくん、YASさん、KOBA先輩、ヴァンちゃんと、いったいどのくらいの時をここで過ごしたんだろう。いったい、何曲くらい歌ったんだろう。同じ地元通しで毎日のように歌える環境ではない、一年に3回くらいしか会えない環境の私たちにとって、本当に大切な場所でした。コロナ禍以降一回も行ってない。またみんなと歌いたいなあ。

 

 

 

「ロサンゼルスのディズニーランド」

ホームステイ先が、結構、ディズニーランド、そして、ユニバーサルスタジオ、さらにはセブンフラッグに近かったんです。もちろん、同じ、ホームステイ仲間にも超人気だったのはディズニーランド。いったい何回行ったことやら。とにかく空いているのが嬉しかった。当時は新しかったスペースマウンテンやマンハッタンボブスレイが、降りて全力で走れば、次の発射に間に合ったんだもん。それにしても、今、この場で、思い至ったのは、あれ?入園料は誰が払っていてくれたんだ?もしかして、ホストファミリー?

 

 

 

「幼いころ家族四人で行った東京タワー」

3回くらい、行った覚えがあります。型違いの、東京タワーの卓上カレンダー(日付の部分がくるくるまわすと、カシャカシャ次の日に移っていくやつ。うー、捨ててしまった。それこそ、マイトレ(アイテム)で記事にしたかったなあ)が3種類、長らく古い我が家の応接間に飾ってあったもん。Always 続・三丁目の夕日(2007年)のラストの方で一平くんたちが東京タワーに行くシーン、あれ、なんかすっごく自分の幼い頃とデジャブしちゃいました。

 

 

 

 

「平成10年頃の巣鴨とげぬき地蔵を見下ろすアパート」

KOBA先輩のあばら家を失った私たちの、D&Dを遊ぶアジトパート2。

初めて、巣鴨の地に降り立ったときには、コクズくんからの謎解きメッセージ葉書を頼りにここをめざしたんだよなあ。よくたどり着いたもんだ。この部屋でプレイしていて、私たちの知らない間に、時代は昭和から平成になっていたんだったなあ。

 

 

 

「ザナルカンド」

私が唯一エンディングを見れたFF(すべてを超えし者は除きますよ、あんなの私には無理ー!)。スピラにある大陸の最北端。

「最後かもしれないだろ、、、だから全部話しておきたいんだ」



 

 

 

メイドリフレぽんでぃしぇり

歌舞伎町のとあるビルの中にあったメイドリフレ。非常にたくさんの時間をここですごしました。映画大好き演劇大好きな不思議娘のあるとちゃん、ディズニー大好きガールのめいちゃん、ハロプロやアイドルのことを教えてくれたカメラマンガールのめろちゃん、癒しと元気を溢れるくらいくれた謎解き脱出娘のちこりちゃん。私にとっての四天王。みんな今頃どうしているかなあ。また会いたいなあ。

 

 

 

「わが青春の四畳半」

本郷にあった私が四年間お世話になった下宿の階段をのぼってすぐの2階にあった四畳半の部屋。台所も水道もない、テレビもない、エアコンもない、(初日は電球もなかった、)、もちろんお金もなかった。でも、すっごく輝いていたと思います。楽しかったなあ、あの一人暮らし。大事な大事な思い出です。

 

 

 

「家族四人が幸せだった昔の我が家」

木造1階建ての昔の我が家。高校生になった私のためにプレハブの離れも作ってくれたのでした。北側にどぶ川があって、幼稚園の頃は、石の橋をわたって道に出ていたんだよなあ。もちろん、舗装されていないでこぼこ道に。周りは3方向を田んぼに囲まれていたっけ。ずいぶんと変わったんだなあ、我が家の周りも。

 

 

 

フォーゴットンレルムのフランの町」

PC9801やファミコンで遊べたSSIから発売されたコンピューターRPG「AD&D プール・オブ・レイディアンス」の舞台にもなった町。私たちDBメンバーズにとっても大切な町。詳しくはまたカテゴリーD&Dにていっぱい語らせてください。からだが動かなくなっても、想像力だけを頼りに、またあの町にいけたらいいなあ。みんなと一緒に。そして、ワクワクの冒険を続けたい。気のすむまで。



 

 

 

 

ダメだ!全然、20じゃおさまらない。

2040年の私へ。

まだまだこんなもんじゃないよ。

きっと「moreあの時あの場所」20やります。

 

 

 

 

ここからは、参加してくださったテイルズ (id:MyStory)さんの「あの時あの場所」です。

 

実は最初お題の予告をいただいた時、頭の中が「?」で満たされていました。

 

どことなく詩的な響きのあるお題だったので哲学的なものかと思っていたのですが、なるほど、ストレートなお題だったのですね。

(゚▽゚)ナットク!

 

あまり旅行などする機会もなく、インドアマイスター(インドアを極めし者)な自分は、実は思い入れのある場所が思い浮かばなかったりします。

 

ですが、それが故に思いつく場所全てに強い思い入れがあるのも事実です★

 

それではスタートです。

 

セガっ子なら1度は行ってみたいと思うセガの聖地です。

 

兄とともに東京に遊びに行った時に、一番の目的は、ディズニーランドでも東京タワーでもなくジョイポリでした。

 

町のゲームセンターなどでは到底味わえることのできない近未来的なゲーム体験ができ、もぉここで暮らしたい!とさえ思いましたよー。

 

  • 幼い頃行った映画館

子供の頃、映画は1大ビックイベントでした。

兄とともに母親に手を引かれ、町にある映画館に行くというのは冒険以外の何者でもありません。

 

作品ごとに映画館が分かれていたので、映画館ごとの個性も楽しみでした。

 

もちろん前日の晩は嬉しすぎてほとんど眠れませんでしたよ。

 

当時の子供たちが初めて遊んだロールプレイングゲームの舞台ですね。

 

アレフガルドの地に降り立ち、その一歩を踏みしめた瞬間から日本のRPGの歴史は始まりました。

 

もちろん、ウィザードリーウルティマといった偉大なゲームが既に存在していたのですが、多くの子供たちが初めて触れたのがドラゴンクエストだった事はゆるぎない事実です。

 

  • シアトル

人生初にして唯一の海外旅行は、友人を頼ったアメリカ旅行でした。

 

観光地を巡ると言うよりは、アメリカでの日常を楽しむような感覚です。

 

英語は苦手なのですが自分が困っている事を察すると、とても親切に応対してくれたアメリカの人々の優しさに触れる旅でもありました。

 

残念なのは、まだ自分が住む田舎にスタバが来る前の時代だったので、スタバ発祥の地であるシアトル1号店を見ることが叶わなかったことです。

 

今行けば、まず真っ先に足を運ぶ場所です!

 

こちらも兄とともに東京に遊びに行った時の絶対に行きたいもう一つの目的地でした。

 

ナビなんてない時代だったので、雑誌に載っている地図を頼りに気合でたどり着くことができました。

(^-^)v

 

その時購入した「イース」のマグカップは、つい先日取っ手が取れてしまうまでずっと愛用していましたよ。

 

  • つくば万博

何やらポートピアにも行ったことがあるそうなのですが、幼すぎて全く覚えていなかったりします。

σ(^_^;)

 

それに対し、つくば万博は物心ついていたので、凄く楽しかった思い出があります。

 

一番覚えているのは、おそらく1番人気であったであろう『富士通パビリオン』で、全天周囲モニターに映し出された3D映像の迫力です。

 

ドーム型の天井を見上げるような形でスピード感あふれる映像が映し出され、最後巨大鮫に飲み込まれるシーンでは、息が止まりそうになる位驚きました。

( ゚д゚)

 

テレビで見ていたF1をついに体感することができた瞬間です。

テレビと全く違う音の迫力に驚いたのですが、それ以上に驚いたのはタイヤのゴムの焼け焦げた匂いです。

 

実際サーキットでレースを見ると順位がよくわからないので、実はドラマチックに見ることができるのはテレビだったりします。

 

ですが、あの迫力はご家庭のテレビでは絶対に味わえません!

 

兄とともに東京に遊びに行った時、少し東京からは外れますが頑張って足を伸ばした絶対に行きたかった目的地です。

 

目的はただ1つ『ギャラクシアン3』 です!

前代未聞なスケールのゲームで、28人同時プレイ、高低差2メートルもある動くシート、フロア全体がゲーム筐体と言う後にも先にもOnly Oneなゲームでした。

 

ゲーム自体はプレステ入植されていますが、あの迫力には到底及びません。

 

  • 横浜ラーメン博

これも兄とともに東京に遊びに行った際に訪れました。

昭和初期の風景を再現したテーマパーク型のフードコートで、まるでタイムスリップしたような不思議な感覚に襲われました。

 

あまりラーメンをお店で食べると言う感覚がなかったので、ここで口にした人生初の「とんこつラーメン」には心底驚きました。

 

見た目油ギトギトなのに、口に含んでみると、そのあまりにクリアで澄んだスープの美味しさにしびれました。

 

  • 90年代のゲームセンター

大型筐体、体感ゲームがひしめく、いわゆるゲーセンバブルの時代のゲームセンターは一大アミューズメントスポットでした。

 

令和の今の世の中、映像表現はこの当時と比べ物にならない位向上していますが、実際に筐体に乗り込んでゲームで遊ぶあの感覚は、どれだけスペックが上がっても味わうことができませんね。

 

11位〜∞

幼い頃、兄と両親とともに出かけるところであれば、それが近所の公園でどんぐり拾いであったり、ちょっとした買い物に立ち寄ったスーパーであっても、どんなテーマパークよりも心ときめく時と場所でした。

 

当たり前のようでいて、とてもぜいたくな思い出です。

もちろんその思い出は、来年も再来年も、きっとずっと増えていくことと信じます!

 

と、いうわけで20個に触らないどころか、これからもずっと続けていくことと思います。

 

 

 

 

 

 

 

あっち(*^▽^*) (id:RainbowAngel)さんも参加してくださいました!

あっち(*^▽^*)さんの「あの時あの場所」です。

 

あ、わたしの好きな場所はねぇ、生まれてから小学校低学年まで住んでた横浜だよ!

 

あとは、お肉卵乳製品が食べられない体質のわたしでもおいしいお料理を安心して食べられるヴィーガンレストランが大好きだよ♪

特に、性同一性障害の診断の時にクリニックに通ってた時に帰りによく食べてた、自由ヶ丘にあるT'sレストランが一番のお気に入りかな♪

https://ts-restaurant.jp/

 

 

 

 

 

やっぱ、その人にとっての大切な場所には、深くあたたかい思い出がぎっしりつまっているものですね。そういった大切な場所は心の中にいつまでも残しておきたいです。いつか、年をとって、自分の人生をみつめたとき、私は、自分の場所と共に、テイルズ (id:MyStory)とあっち(*^▽^*)さんの「あの時あの場所」も見ながら、一緒に行かせてもらったような懐かしい気持ちにひたるのかなあ。そうありたいです。

 

 

 

よかったら、みなさんの、フェイバリットあの時あの場所20も教えてください。

上記の通り、今回はコメントでなくても、ご自分のブログでもかまいません。

ただし、私にリンクを貼る許可をくださいね。また、補完バージョンへの記載、マイトレ(会話)でのアップの許可をいただける方限定とさせてくださいね。

 

 

 

このカテゴリーでは私の2023年12月現在におけるフェイバリットをブログしていきたいと思います。いつか、身体が思うように動かなくなったとき、思い出として振り返ることができたら幸せです。